RYOYU 今、生きているということ

仕事と育児とSHINeeと・・・バランスを取るのは大変だけれど、どれもかけがえのない大切な私の宝もの。

SHINee〜Requiem編 ① 慟哭

 

こんばんは ✨

 

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私、ジョンや SHINeeのモノクロ写真がすごく好きでして。私のブログのアイコンもモノクロ SHINeeです。

 

 SHINeeと言えば、メンバーカラーもチームカラーも色鮮やかなのが特徴なんですが、同じくらい、モノクロも大好きなんです。

 

深みを感じるというか、顔色や服装や背景はどんな色なのかなと想像させてくれる、余韻がたまらなく好きで。

 

私はオトナ SHINeeから入ったというのもあるのか、酸いも甘いもいろいろ経験を積んできた彼らの表情というか色っぽさの「奥行き」に、なんか強烈に惹かれてしまいます。

 

きっと、嬉しいこと楽しいことだけではなくって、それと同じくらい、いや、その何倍も、辛いことや悔しいこと、悲しいことを経験してきたんだろうなって。

そういうところをアイドルはもちろん表には出しませんから、ファンとしては想像するしかありませんでしたけれども。

 

でも、勝手に想像しては、彼らの血の滲むようような努力の過程に想いを馳せて、パフォーマンス一つに涙が出たりしてました。

 

 

これから「あの日」のこと、それ以降のことに触れていきます。

 

お辛い方はここでストップしてくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年12月18日

 

ライブのエントリーをして、浮かれていられたのはわずか3日間。

 

 

神さまは容赦なく。

SHINeeとシャヲルに突然、最大の試練を投下してきました。

 

 

「あの日」。

 

 

私は自分勝手な生き物でした。

 

 

これこそ、信じ難いけれども、動かし難い「事実」。

それを目の当たりにしてるのに。

 

 

人間というものは。

引き裂かれそうな、崩れ堕ちそうなメンタルを必死に守るために、都合の良い思考回路を辿るように出来ていて。

 

 

「あの日」が来るまでは、「あの日」が来ようなんて予想もしていなかったくせに。

 

 

私は、必死に、彼が「あの日」を迎えるまでの彼の悩みや内面を推し量ろうと。

 

「共感」しようと。

 

もがき始めました。

 

「嘘だ」「信じられない」というよりも先に、「振り返れば、いくつもサインは出てたじゃないか」「彼は助けを求めていたじゃないか」って。

 

「あの日」に関して、会社側から正式な公表があった時点で、私はそう思うことで、引き裂かれそうな感情に折り合いをつけようとしました。

 

 

メンバーやシャヲルさん達の悲しみを想像する余力は残っていませんでした。

ユ◯ミーワールドへアクセスすることも出来ず、ひたすら自問自答する数日間。

 

最初は、

彼の苦悩や内面を知りたい、共感したい。

このことしか考えられませんでした。

 

一番最初によぎったのは、やはり、ラジオ番組「青い夜」の降板が彼にもたらしたダメージの大きさでした。

 

 

一般人の私ですら、仕事と育児の二つの基軸だけで、心身のバランスを欠き、自分を見失いそうになっていた訳で。

 

 

ジョンの人生にとって、ラジオがどれほどの重みを持っていたか。

 

痛いほど分かっていたからこそ。

メンバーもシャヲルさん達リスナーも、気にかけていた訳で。

 

でも。

 

じゃあ、あの時ラジオを頑張って続けていたら、どうなっていただろうか。

 

ラジオではなく、ソロか SHINeeとしての活動のどちらかといったん距離を置く、なんていう選択肢はあり得たのだろうか。

 

いや、ジョンにとっては、この二つの基軸だって、ジョンがジョンであるためのかけがえのないものであったに違いなくて。

 

どんなに考えても、一シャヲルが、一ジョンペンが、「どうしたら良かったのか」などという正解なんて導けるはずもなく。

 

こういう事態のときに、ややもすると、周囲のサポート体制が不十分だったことが取り沙汰されがちで。

実際に、世間では周囲の対応がどうのこうの、という意見も出ていたようですが。

 

 

不思議と、私は、そんなことは全く思いませんでした。

 

ジョンは、対話を大切にする人です。

自分の意見をきちんと持ち、対話を重ねて、相手とじっくり話し合うことが出来る人です。

 

だから、ジョンの周りの、ジョンが心から愛し、また、ジョンを心から愛してきた人たちや、ジョンのコンディション回復のためにサポートしてきた方々と、これまでの間、数えきれないくらいの対話を重ねてきただろうと。

 

その上で、ラジオの降板も決め、ソロと SHINeeの二つの基軸で頑張っていたに違いないって。

 

今でも、そう思っています。

 

 

まもなく

彼が親友のナインさんに託した最後のメッセージが公開されて。

 

彼女は、音楽の世界でジョンがとても尊敬していて、ラジオ番組を共に創り、やはりジョンがたくさん対話を重ねて来たであろう方で。

 

ジョンがこのメッセージを彼女に託したことの意味の大きさも伝わってきて。

ナインさんがジョンのご家族と相談の上でこのメッセージを公開することの重みも充分に感じて。

 

しっかりと受け止めて読みたいと思いました。

 

でも。

 

私、分からなかったんです。

 

いえ、部分的には分かるんです。

 

でも、何度読んでも、彼が何を言いたかったのか、何をみんなに伝えたかったのか、全てを理解することが出来なかったんです。

 

あんなに、彼は、一つ一つの言葉を大切にして、紡ぎ出しながら丁寧に表現してきたのに。

 

私も言葉を選ぶことを日常的な仕事にしてきて、メッセージの意図を読み取ろうと努力するんだけど。

 

彼のメッセージの一言一句を理解したいのに。

 

どうしても理解出来ないんです。

 

乱れた文脈、繰り返される言葉。

 

ただ、ただ、メッセージから私に伝わってきたのは、彼の

「苦しいんだ」 

「疲れたんだ」

「解放してくれ」

という慟哭でした。

 

 

ジョン

 

 

ジョンは「理解することより認めること」を大切にしてきたじゃない?

 

私、ジョンのこの言葉に何度となく支えられてきたよ。

 

だからね。

 

ジョンが「あの日」を選択したことも、認めたいんだけどね。

 

 

ごめんなさい。

 

 

どうしても、認められない。

 

 

受け入れられないよ。

 

 

だって、ジョンのこと、今もまだ、こんなに理解したいと思ってる。

 

 

ジョンの最後のメッセージを理解出来ないでいることが、こんなにも苦しい。

 

 

ジョンの座右の銘を大事に出来なくてごめんなさい。

 

 

別れの儀式も、ちゃんと見たよ。

 

 

ジョンがあんなに愛し、大切に大切に慈しんできた、ご家族やメンバー。

 

 

今まで、笑顔や嬉し涙しか見たことのなかったご家族やメンバーの、悲しみと苦痛に歪んだ泣き顔。

 

 

「母と姉が幸せになることが僕の人生の目標だった」って。

いつか話してくれたじゃない?

 

 

お母さんもお姉さんも、ジョンがそばにいて、ジョンが好きなことをしていることが、きっと何よりの幸せだったはずなのに。

 

「このメンバーなら、生まれ変わってももう一度 SHINeeをやりたい」って。

話してくれたじゃない?

 

5人が苦労を共にして努力を重ねてきて、この先も共に歩んでいくだろうから。

だからこその「生まれ変わっても」なのに。

 

 

私、ジョンが一人で先に向こうにいってしまったことが、こんなにも悲しい。

 

 

どうしても受け入れられません。

 

 

 

あんなに毎日のように、歌を聴いて、写真や動画を見ていたのに。

 

 

別れの儀式の後。

 

 

ジョンの写真も。

 SHINeeの写真も。

ジョンのソロ曲も。

 SHINeeの曲も。

 

 

全く見られず、聴けなくなってしまいました。

 

 

でも、そんな中で一つだけ。

私の心に唯一届いたメッセージがあって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キーさんのインスタ。

 

 

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https://www.instagram.com/p/Bc9OM5tjVD9/?utm_source=ig_web_copy_link

 

 

 

 

 

 

 

まだ、「あの日」からたった数日しか経っていないのに。

 

 

 

別れの儀式のときに、あんなに目を真っ赤にして泣き腫らしていて。

オニュさんに抱きしめられないと立っていられないくらいだったのに。

 

 

 

 

キーさん。

 

 

 

 

それなのに、あなたは、私たちファンのことをとても心配して、メッセージを届けてくれたんだよね。

 

 

 

 

 

 

キーさんの、あのメッセージがあのときなかったら、私、本当にダメになっていたかもしれません。

 

 

 

キーさん。

 

 

 

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本当にありがとう。

 

 

 

 

 

✳︎写真・インスタグラムお借りしました。