RYOYU 今、生きているということ

仕事と育児とSHINeeと・・・バランスを取るのは大変だけれど、どれもかけがえのない大切な私の宝もの。

SHINee&思うこと〜 ジョンペンであること。シャヲルであること。

 

こんにちは。

 

 

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昨日は、たくさんの方々の、ジョンへの想いに触れることが出来ました。

 

触れることで、一年前の記憶が蘇って涙が出ることもありましたし、みなさんのジョンへの変わらない愛に、私まで包まれているような、温かさを感じることもありました。

 

みなさんがそれぞれのカタチでジョンへの愛を伝えてくださって。

また、わたしは、救われました。

ほんとうにありがとうございます。

 

また、このブログにもいつも以上に足を運んでくださって、有り難かったです。

 

 

この一年の間に。

 

私自身も、様々な感情が波のように押し寄せてきました。

 

ときには、一人で浸って泣き。

ときには、目を背け。

ときには、同じ気持ちを抱いておられる方がいないかと彷徨い。

 

その中で、最も私を慰めてくれたのが、あの日の前も後も変わらずに、ジョンを愛し、SHINeeを愛している人たちが集う場所。

シャヲルさん達のブログでした。

 

このことは、ブログ序盤のシャヲルストーリーのときにも暑苦しく語ったことがあります。

 

 

私、実は、ジョンのあの日からの1年間と、とても似た経験をしたことがあります。

これからお話すること、ブログで載せていいものかどうか迷いましたが。

私にとっては、隠すことでもなく、今の私を間違いなく構成している、当時も今も大切な記憶として残るエピソードです。

もしかしたら、読まれてお辛い気持ちになる方もいらっしゃるかもしれません。ごめんなさい。でも、反対にもしかしたら、似たご経験があって今も泣いていらっしゃる方もおられるかもしれない。

今も泣いてる方がいらっしゃったのなら。

1人じゃないよ、という気持ちをこのブログに乗せて贈ります。

 

 

いつもこのブログで登場する子ども達。

息子と娘。

 

実は、もう1人います。

 

ジョンと同じ場所にいます。

 

生まれる前に亡くなりました。

 

妊娠週数も進み、安定期に入った後のことでした。

出産と同じ方法で、我が子と対面しました。

 

まさか、自分が、こんな事態に直面するとは思いませんでした。

 

いや、ほんとうはあの当時も。

ジョンのときと同じように。

必死に理由を探し続けました。

ほんとうは腹痛で、違和感を感じていたこと。

でも、当時は難しい仕事を目の前に控えていて。

妊婦だからと言って、休んで関係者に迷惑をかけるわけにはいかない。

仕事が終わってから、病院に行けばいいや、と。

 

お腹の中で亡くなっていると先生から告げられた瞬間の、あの部屋と、先生が座っていた場所と、私が座っていた椅子と。

そのあと、出産と同じように入院し、分娩台に上ったときのこと。

我が子と対面したときのこと。

今でも鮮明に覚えています。

 

仕事なんて、どうにでもなったよ。

みんなに迷惑をかけるなら、土下座してでも謝って、あのとき這いつくばってでも病院に行けばよかった。

赤ちゃんを守れるのは私しかいなかったのに、と。

絶望感と、後悔と、自責の念と。

お母さんのせいではない、と。家族も先生もみんなが慰めてくれるけれども、全く心に響いてこない。

あのときを振り返ると、涙が止まらない日々が続き、何も手につかなくて。心が壊れる一歩手前だったと思います。

 

小さかったので、唯一残った我が子の証が、細いへその緒でした。

 

私、そのへその緒が入った箱を一年間、肌身離さず持ち続けました。

寝るときも一緒。

仕事に行くときも、家族で出かけるときも一緒。

どうしても手放せませんでした。

 

そんな日々を過ごしている中で、私を慰めてくれたのが、一つのサイトでした。

流産や死産、生まれてすぐに我が子を亡くした、ママたちが集まり、自分たちの想いを綴っている場所。

ママさん達、それぞれの状況は一つとして同じものはなかったけれども。

我が子を体温のあるままに愛しんで育てたかった気持ち、自分や周りに対する、言いようのない感情などが、綴られていて。

 

読んでは、声を出して泣き。

そうして、少しずつ心の傷が癒えていきました。

 

1年経つころに、ようやく供養する決心がつきました。

そして、それまで肌身離さず持ち歩いていたへその緒を、赤ちゃんコーナーに安置することができました。

 

その赤ちゃんコーナーは、リビングの一番陽当たりのいい場所にあります。

 

私達夫婦にとっては、大事な我が子の1人なので、家族や親しい友人にも、タブーな領域にしないで欲しい、どんどん話しを振ってほしい、その方が嬉しいし、有り難いと、お願いしました。

息子も娘も、自分たちは3人兄妹という気持ちでいてくれて。

何年経っても、今でもよく話題に出てきます。

 

1年後に、へその緒を安置できたことで、あのときの私は、前に進むことが出来ました。

 

でも、我が子を忘れたことは1日もなく、会いたい。

今生きていれば◯歳で、こんなことが出来るようになってるのかな、などと、今もよく想像したりしています。

 

 

ジョンのことも。

 

1年経って、涙を流す回数は減っていきました。

ジョンの歌が聴けるようになりました。

ジョンの写真や映像が見られるようになりました。

オニュさん、キーさん、ミノさん、テミンさんのことが大好きだー! これからも応援するぞー!の気持ち。前はあんなに辛くて、ジョンに対しても後ろめたかったのに、今は、ストレートに表現できるようになってきました。

まだ時々こじらせてますが。←

 

4人しか姿の見えない、今のSHINeeの写真。まだ胸が痛むときもあります。

シーグリが届いたのに、実は、まだ箱を開けられてません。Seekが届いたときのことを思い出します。

でも、近々開けてみようと思います。

 

私、この1年で。

肌身離さず持ち続けていた、ジョンという、へその緒を、心の一定の場所に安置出来たかもしれません。

もしかしたら、まだかもしれません。

ジョンのは、目に見えないので。

 

 

私は、ジョンペンです。

 

そして、シャヲルです。

 

ジョンも、5人の姿のSHINeeも、4人の姿のSHINeeも。

私にとっては、同じくらい大切です。

時々、ベクトルが違う方向に伸びていくので、困るんですが。←

 

一人一人、みんなちがって、みんないい。

 

乗り越えなくてもいい。

 

乗り越えてもいい。

 

私は、いつでも。

 

先輩ジョンペンのみなさんには。

ジョンの魅力をたくさん教えていただいて、私をジョン沼に導いてくださったこと、ジョンのあの日以降の苦しみや悲しみを共感させていただいていること、今もシャヲルとしてSHINeeをいっしょに応援出来ていることに。

心からの感謝と愛を。

 

先輩シャヲルのみなさんには。

ジョンに会えないことを一緒に悲しみ、今のSHINeeを支えてくださっていることに。

心からの感謝と愛を。

 

最近シャヲルになってくださったみなさんには。

SHINeeやジョンを知って、好きになってくださって、これからのSHINeeを支えてくださることに。

心からの感謝と愛を。

 

ここは、わたしの揺るがない気持ちです。

 

昨日は、そんなことも思いながら過ごしていました。

 

どうか、これからも、みなさんと一緒に、SHINee愛を、ジョンヒョン愛を、たくさん叫べますように。

 

 

ジョンヒョンさんが大好きです。

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SHINeeが大好きです。

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あの日を超えて、今も頑張っているSHINeeが大好きです。

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シャヲルさんが大好きです。

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もうすぐKEY LAND!

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露わになった太もも。久しぶりにぶほっ(΄◉◞౪◟◉`)←


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((((;゚Д゚)))))))  かっこええ!

 

 

私は行けませんが、アルバム聴きまくって、みなさんからのレポを楽しみに待ちながら、応援します!!

 

 

 

では、また♡

 

 

✳︎画像お借りしました。